リュウグウノツカイのように

深海で悠々と暮らしたい

最近の技術書について思うこと

まえがき

 高校までの教科書って、ほとんどが文部科学省が認可している由緒正しき書籍。しかし専門学校や大学は話が別です。教授の書いた本、なぜか購入を勧められたタッカイ高い本。最近の技術書は、そんなニーズを汲み取ってか、少し方向性が変わったように思います。ふと、自分の本棚や本屋さんの技術書棚を見て思ったことを、なんとなくまとめます。

昔の書籍は難しかった

 図書館などで2000年代に発行されたプログラミング書籍を読んでみると、言葉は堅苦しく、書いてある内容も難解で、とにかく難しいイメージでした。昔は読者が技術を求める熱量が多く、書籍をなんとしても読み解いて知識を手に入れたい情熱があったんだと思います。それに、筆者も読者に「分かりやすさ」「楽しさ」「継続できる工夫」などは考えず、とにかく使い方を述べている書籍が多かったです。そのため、2000年~2020年ぐらいの専門学生が購入する教科書は、堅苦しい系の本で、今の学生が読むと拒否反応が出そう、そんな書籍な気がします。

小学校プログラミング必修化で変わった?

 もしかしたら、コレがきっかけなのかもしれません。小学校プログラミング必修化。小学生向けの書籍って実に上手く出来てるんです。図鑑や小説など、小学生でも飽きずに読み終わる工夫があります。プログラミングについても、小学生に分かりやすく伝えるために、面白く伝えるためにエンタメ化。その流れが技術書にも来ているのかもしれません。一節によると、大人でも未経験なことは、中学生が理解できることが限度だと言われています。いくら大人とはいえ、未経験なことを説明してもらうには、小学生向けのエッセンスが重要だったんです。

 さらに拍車を掛けたのは、新型コロナウィルスによるIT活用。ふだんPCを好まない人でも、テレワークなどで一人でPCを利用するようになりました。周囲には教えてくれる人はいません。だからこそ、「1週間で分かる」「サルでも分かる」「30時間でマスター」など魅力的なタイトルがつけられ、不安感を払拭させる書籍がどんどこ登場しているんだと思います。

使い方から作り方へ

 本来、技術書を読む理由は「技術が欲しいから」だと思います。では、得た技術で何をするのでしょうか?最近の書籍にありがちなのは「ゲームができる」「アプリを作れる」「実際に体験しよう!」などの成果物主義な書籍。本来、何を作りたいのか想像するのが技術者なんじゃないかな~と思っちゃいますが、最初から理想像を見せつけるスタイルなのが、最近の書籍だと思います。もちろん、成果物ができて達成感は生まれますが、応用は効くのでしょうか?その言語の基礎をまんべんなく理解しているのでしょうか?

 特にクリティカルなのは、書籍を読んでも応用ができないこと。プログラミングは自分で考え、自分で作るしかありません。もちろん、最初のウチは見よう見まねで何かを模写して作るのはいいと思います。でも、作るだけで満足せず「こんな機能欲しいな~」とか考えるのがエンジニア。作って・ハイ・おしまい!!だけでは、もったいなさすぎるんです。

読者は離れる

 昔と今が違うのは、読者が学ぶ手段について。昔は書籍で十分だったのが、今では無料でプログラミングが学べるサイトも登場。わざわざ書籍を買うというリスクを侵さずに、学習することができる良い時代なんです。でも、出版社からすれば、溜まったもんじゃありません。様々な魅力ある学習コンテンツに負けないサービスをするために、目標があって、絵も可愛くて、イラストも豊富で・・・読者を掴んでは離さない工夫を凝らしているように思います。過剰サービスとも言える技術書のエンタメ化は、専門学校で採用される教科書にも影響を及ぼします。

学生を飽きさせない

 昔の堅っ苦しい書籍を購入すると、どうしても拒否反応が生まれるのが最近の学生。単純で質素な表紙が配布されると、どこからともなく「えー」「こんなので勉強するのー」といった声も。ところが、最近の教科書はあら不思議。魅力的な表紙に、しっかりとした目標。おやおや、今度は「すげぇー!」「ゲーム作れるんだってよ!!」と楽しそうです。これで学生の満足度もUP、学生のやる気も向上したように思えます。保護者も納得。最近の「作る系」教科書は、学生のウケが良いんです。内容は別にして。

自由という不自由

 昔の技術書のように、ただ技術を載せているだけの書籍は、技術を身につけられますが、何が作れるかは想像次第。自由という不自由がありました。最近の技術書は、目標を明確にしがちです。勉強する方にきちんとレールを引いてあげることで、個人で学習するときにも迷わず・挫折せず・楽しく学ぶことができます。個人で学ぶ分には、今の流れはとっても良いと思います。

専門学校・・・ですよね?

 ただ、受け入れがたいのは専門学校で、こういう系の教科書を採用しちゃう話。だって専門学校ですから、講師が教えてくれるんですよね?まさか、読めば分かる系の最近の書籍を採用して、教える手間を省いているんじゃないでしょうか?と思う授業、実はありました。学校の先生というのは、教える以外にも仕事があるようで大変そうです。でも、先生って教えるのが一番のしごとですよね?一番省いてはダメな部分なんです。

 学生が一番期待しているのは、この先生ならではの楽しく分かりやすい授業です。教科書に書いてある通りのことを、その通りに伝えて、質問は自分で調べましょう・・・それって、本当に授業と言えるんでしょうか?

教える手間だと思わないでほしい

 最近の技術書、ひょっとしたら専門学校の先生よりも教え方が上手で、知識も豊富な本が多いかもしれません。専門学校の先生の能力レベルも、失礼ながらピンキリです。特に田舎は技術者が少なく、特にゲーム系はゲーム会社に居なくても・ゲームを組んだことがなくても・ゲームを組みたいと思う気持ちで採用しちゃうなど、技術レベルは学生と一緒では?と思っちゃうときもあります。

 本来は学校ごとに秘伝の資料があり、教科書は要らないはず。でもわざわざ教科書を買わせるのは、学生が1人でも学べるようにという愛か、それとも教える手間だとコスパを考えているのか、それとも教えられる能力がないのか・・・いずれにせよ、学校に通っているのですから、教科書+αの技術習得に期待してしまいます。

 例えば、実際にプログラミングでココを気をつけたほうが良いよ~とか、こんな書き方があるんだよ~とか、お仕事でこんなモノ作ったよ~とか、その先生ならではの情報があると、学生は喰い付きます。というか私がそうでした。学校に通い、講師が直々に教える価値とは何でしょうか。

技術が無いので適当に教えよう! な~んて、思ってませんよね?

技術書任せでラクしてコスパ高! な~んて、思ってませんよね?

出版社に勧められたから買った! な~んて、思ってませんよね?

 もう少し、講師の技術向上と学生に目を向けて、教科書を選んで欲しいと思いました。